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2006年6月30日 (金)

バンプラバー

この前のMOTO3のレースでD-Trackerのリヤサスのバンプラバーがちぎれ飛んでしまった....
で、探して見てもこれ、以外と部品で出ていないんですよね~。
バンプラバー、Jounce Bumperとも言うけれどもただのボトム止めかと思うと以外と奥が深んです。
これ、もちろん底突き防止だけれどもそれだけではなく、荷重と反発力のバランスを微妙にコントロールしてフルストローク付近のサスの反発力の特性をビミョーにチューニングしている大切な部品で、サスペンションメーカーによってはチューニング部品として特性違いをオプションで出していたりもするんです。特にストロークを詰めているモタードマシンなど、ジャンプの着地の安定感など、以外とこれで大きく左右されるかも?
いろいろ探して海外で出ているのを見つけたけど注文ページに行ったら「海外向け発送はしない」との事......(T^T)
車種によっては国内で補修部品として出ている様だけど向こうで見つけたやつがこれまた反力の立ちあがり具合が良さげ~な感じで...
さーて、どうやって手に入れたものか....

ちなみに私のRD400レーサー、フロントフォークにダストシール付けてます。本当は無い方がフリクションが少なくて良いけれど、実はこれバンプラバー機能を期待して。車体ディメンジョンの関係でアウターチューブがアンダーブラケットに当たるぐらいまでフロントを下げているので、万一接触してもダストシールが間に入ってクッションになればばその時のショックで不用意にバランスを崩す事が無い、といった狙いですw。

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2006年6月15日 (木)

TDR250-里親求むPART2

さて、Kei's Racing Garageは都内某駅近くの商店街の中に有る小さ~いガレージなわけで、ちょっとした整備は軒下などでやったり、中のバイクを出して中で整備したりしておりました。

ところが、やはりそこは出口を一歩出ると車道というシチュエーション、御近所からクレームが出てしまい軒下はNG、といってウチは改正道交法での取り締まり重点区域内。中のバイクを出すと駐車違反一網打尽!となりかねません。というわけで現在場所を空けるべく片付けを行っております(MOTO3の準備が手間取ったのはこの辺が原因だったわけです)。

と、いうことで里親探し再び。TDR250,現在バラバラ状態。数年前に入手、修理を始めたのですが手が回らず...もしここから気合で組むぞ!という方がいらっしゃいましたら安価でお譲りします。ただ、本当にバラバラ、欠品の保証もしかねる(もともと1台だったので欠品ないはずですけど...)状態です。エンジンは焼きついていますが他に1KTのノーマルエンジン1基あり。それでもイイ!という気合の入った方がいらっしゃいましたらご一報を。黒/黄色のカラーの方です。

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写真です~

T中さんから日曜日の写真を頂きました。

Dscn2051 何とか組みあがったマシン。外装と足回りを交換しましたがエンジンはまだノーマルです。ウチのイメージカラーの白+ブルーです。

Dscn2053 ブルーアルマイトが何気なく自己主張しているリヤのリンク。

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2006年6月13日 (火)

MOTO1第二戦

第1戦はTOF直後という事もあり参加出来なかったのですが、今回は行ってまいりましたMOTO1エリア選手権第2戦。今回はTOFのライダーをつとめてくださり、今期第1戦では2位入賞の10knotレーシングtatsuya氏、華麗なドリフトで魅せるBOSS@プレスト氏とそのチーム員のa24@Dトラ氏、 自分達以外で計3台のD-TrackerがMOTO3でKei's Racing Garage のエキゾーストを使用して下さいました!
そして結果は...何と3台とも入賞!!入賞6台中3台ですからこれは快挙です!!tatsuya氏、BOSS氏、24@Dトラ氏、おめでとうございます!!

んで、ウチの方はというと...
今回はエンジンの準備が間に合わず、急遽ノーマル車にハイシートなどポジション関係部品と新設計のリンク、フロントフォークスプリングだけ組み込み、テストが目的と割り切っての参戦でしたが、ぎりぎりマシンが間に合った事とノーマルエンジンの安心感からか、宿を出る時間を読み誤ってしまい現地到着がフリー走行直前という失敗をやらかしてしまいました...(--;) 風呂上がりのビール、ちと量がすぎたか...

さて、去年モタード走行初めてにしていきなりMOTO3参戦とあいなったT中@RD氏、その後は多忙もあり昨年桶川で2回乗った以外全く乗っていないT中氏が今回仕様変更した足回りで何処まで安心して攻め込める様になったか、が今回の目的と割り切っての参戦でしたが、決勝当日はあいにくの雨。T中氏にとっては過酷なコンディション、こちらにとっては「これでガンガン攻め込めるなら誰にでも安心して薦められるな。フッ。ww」と言った感じ(ヲイヲイ)。
朝はギリギリだった事に加えてT中氏の体調も思わしく無い様だったのでフリー走行は見送り予選から。「この悪条件でガンガン攻め込めて行ける足周りなら誰にでも安心して薦められるな。フッ。wwww」(ヲイヲイヲイ)
最初は慎重に走り出したT中氏、しばらくしたら急にペースを上げた。「おっ!タイム出しに行った!」と思ったら、ダートセクションでコケた...新品の外装が...(T^T)
てなわけでヒートレースはずーっと後からのスタートとあい成りましたが、ヒートが始まってみると10knotレーシングのタクト選手なんかとバトルしながらがんばって一つづつ順位を上げている。んで決勝グリッドは何と2列目。やるじゃん。
いよいよ決勝、スタート!って1人スタートしてない...スタート前はギヤ入れとこうね。T中さん...
んでも1コーナーでは一気に数台をパス。再びタクト選手なんかとしばらくバトルの後抜き去って行く。ただ残念ながら前は既に離れてしまっていてそのままゴール。
決勝終わって帰ってきたT中氏、「楽しかった~!!」を連発。朝が体調悪そうだったので心配でしたが復活!「元気になる足回り」って感じ?今回設計のリンクとフロントスプリング、感触がダイレクトに伝わって雨でも不安が無いとの事。猫足よりさらに乗りやすい様です。今回は感触確かめるのが目的だったので「ヨシ、合格」ということで順位の確認もそこそこに、皆さんに挨拶して引きあげてまいりました。

当日参加された皆さん、お疲れ様でした!今回は台数も増え、あいにくの天気ながらも迫力の有るレースでした!もっともっと台数増えて行くと良いですね!
また次回、宜しくお願いします!!

あ....写真撮るの忘れてた.....(T^T) もし当日の写真分けてくださる方がいらっしゃいましたら、是非宜しくお願い致します。

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2006年6月 9日 (金)

悲しい出来事...

昨日の午後、家内からメールがあった。「マン島で日本人死亡」とある。
「前田さん?!」そうでない事を祈りつつ家内の送ってきたアドレスを開いた。
予感は的中していた。

前田 淳 選手。享年38歳。

5月29日のマン島TT、プラクティスセッションで他のライダーと衝突、6日に息を引き取られたと言う。

1992年。当時勤めていたTwo Brothers Racingに日本のチームから「AMAのSS600に出たいのでマシンを作って欲しい」という依頼があった。
その時、チーフのマイク、ベラスコから初めてSS600用CBR600のエンジン組立てをまかせてもらった。
マイクと「日本人のライダーだから、見えないところに日本語で応援メッセージ書こうぜ!」とクランクケースの中に大きく漢字で「必勝」と書いてエンジンを組んだ。
そうして出来あがったマシンをチームのマシンと共に積み込みディトナへ出発。
引渡しの時にチーム監督と一緒に現れたライダー、それが前田選手だった。
第一印象は「なんとなく華奢な感じ子」だったのを覚えている。
レースでは、確か予選でクラッシュ、我々のTカーを借りて決勝を走った。自分もその時は自分のライダーで手一杯だったので残念ながら前田選手の順位は覚えていない。

やがて時が経ち、前田選手がマン島へ挑戦している事を雑誌で知った。立派な体格、そして勝負師の顔立ちになったな、と思い、いつも雑誌のレース参戦記を読んでは影ながら応援していた。
10年以上前の一見習メカニックの事、前田選手はきっと覚えていなかっただろうが、自分にとっては初めて自分が組んだCBRエンジンで走ったライダー、忘れた事は無かったしこれからも忘れる事は無いと思う。
大島 正選手の時もそうだったが、ほんのわずかでも自分と接点の有ったライダーが逝ってしまうのはとても悲しい...

前田選手の御冥福をお祈り致します。

I sudeenly received an e-mail from my wife that says "A Japanese rider has lost his life in Manx TT race"
"Jun Maeda?!" I hoped it would not be him, and opend a link that she sent me.
Unfortunetely, he was the one.

Jun Maeda - Japanese Manx TT Hero, 38 years old.

He crashed with another rider during 29-May practice sesion at Manx TT, passed away on 6-June.

In 1992, Two Brothers Racing, where I was working for at that moment, received one phonecall from Japanese racing team requesting building one CBR600F race bike for AMA SS600.
That was the first time ever my crew chief Mike Velasco let me build CBR600 race engine.
I discussed with Mike about writing Cheering message in Japanese somewhere that people won't find out, and wrote "Hissyo! (Must Win!)"in its crankcase.
After we arrived Daytona, a team manager and a rider showed up to pick up the bike. That rider was Jun Maeda. My first impression was "rather skinny kid and does not look strong" If I remember correctly he unfortunately crashed in qualify session and ran our T-car for main event.

After years, I read Mr. Maeda's effort for Manx TT racing on one motorcycle magazine. He already looked strong and had a face of  profesional.
I had been hoping he gets  good result since then.
I was just one of trainees when I met him, thus I assume he did not remember me, but I never forgot him and will never forget him. He is the one who rode the CBR600 with the engine I first ever built.

I woiuld like to express my deepest sympathies with Jun Maeda’s family and friends at this sad time, and also would like to pray for the repose of his soul.

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